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東北の旅 vol.2 〜三陸海岸から福島へ〜【アンバサダー ロウ 麻友&エリオット】

青森を出発して、次に私たちが目指したのは岩手県遠野市。友人を通じての縁があり、使われていなかったガソリンスタンドをカフェ兼ショップに改装したユニークなお店でトークイベントを開催させていただきました。見ず知らずの土地にも関わらず、企画者のお声かけでたくさんの方々が遠方から集まってくださり、イベントを終えて数日間遠野で過ごした後にはもうすっかり親近感のある土地となっていました。

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ロウ 麻友 & エリオット (ろう・まゆ & えりおっと)
自転車旅人 + デザイナー。2009年ロンドンで出会い、結婚後は南アフリカ共和国へ移住。2015年より3年間、南アフリカ〜イギリス〜日本への道のりを自転車でミニマルに旅する。現在は国内外の未開地を探求しながら、サスティナブルな生き方を実践中。
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東北の旅 vol.2 〜三陸海岸から福島へ〜【アンバサダー ロウ 麻友&エリオット】

青森を出発して、次に私たちが目指したのは岩手県遠野市。友人を通じての縁があり、使われていなかったガソリンスタンドをカフェ兼ショップに改装したユニークなお店でトークイベントを開催させていただきました。見ず知らずの土地にも関わらず、企画者のお声かけでたくさんの方々が遠方から集まってくださり、イベントを終えて数日間遠野で過ごした後にはもうすっかり親近感のある土地となっていました。


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細かいルートは決めずにゆっくりと移動をしている私たちにとって、地元の人の声はとても貴重です。次は仙台方面へ向かってどのルートで行くか、山沿いか海岸沿いかで迷っていた私たちに、「三陸海岸は見ておいたほうがいいよ」とお店のオーナーさんが一言。その一言で、遠野の後の私たちのルートが決まりました。


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三陸海岸。陸前高田。気仙沼……。これらの地名は多くの日本人が幾度となく耳にし、忘れもしない名前でしょう。東日本大震災が起こった2011年3月11日。当時ロンドンに在住していた私は2年ぶりに日本へ一時帰国しており、出先から自宅に帰宅した時テレビに映し出されていた陸前高田市の目を疑うような光景を今でもはっきりと覚えています。それからというもの、自分に何ができるのか、何を信じるべきか、どう行動していくかを悶々と考え続け、結局被災地へは行くことができずその思いを拭いきれずにいました。


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あれから7年半経った今、やっと自分の足で訪れることのできた陸前高田市は私の予想以上に殺伐とした風景が広がっており、思わず唖然としてしまいました。海岸沿いには巨大なコンクリートブロックの防波堤が建設され、海に面した平地はまだ完全に工事中でした。

道路脇の仮設歩道を自転車で通過している間、何台もの大型トラックが私たちの横を通り過ぎていき、辺りは砂埃が立ち込めるなか、かつてここが街として栄えていた頃の様子を思い浮かべてみます。目の前の景色は、7年半前の津波被害がいかに凄まじいものだったのかを物語っていました。


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三陸海岸沿いの道は、とにかくカーブとアップダウンを繰り返します。そしてそれと連動するように、過去の津波浸水区間の始まりと終わりを細かく示す標識が設置されていました。ちょっとした高低差によってどれほど被害の大きさが異なってくるかを、残された家屋の様子からありありと感じました。


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その後、福島市に住む友人宅に到着し、私のリクエストで友人と共に向かったのが、“福島第一原発20km圏” でした。福島を訪ねたにも関わらず、今のその土地の現状を自分の目で見ずに去るわけにはいかないと思ったのです。福島出身の友人も、今は一般でどこまで行けるのか分からないけれど、行けるところまで行ってみようと言ってくれました。


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福島市から車で約1時間、相馬市の海岸沿いも陸前高田や気仙沼と同じくまだ更地の状態でした。しかし到着してまもなく、三陸海岸とは大きく異なる点に気が付きました。三陸海岸ではぽつぽつと新しい建物が建てられ、また“街”として活性化していく様子を想像できたのですが、相馬の海岸沿いには見渡す限りのメガソーラーがぎっしりと建設されており、そこにかつて人の営みがあったことを彷彿させないがらんとした雰囲気が漂っていました。


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さらに南下していくと、放置された家屋やススキが風になびく荒地、また行くあてもなく山積みにされた放射性廃棄物を詰めた黒い袋が至るとこで目につきます。これまで感じたことがないような空虚感と違和感のなか、私たち人間がこの土地に与えた凄まじい影響に恐怖心を覚えると同時に、この現状から私たちが学び、今後に生かしていかなければならないことがどれほどたくさんあるかを思い知らされました。


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現在、福島第一原発から直線距離で3km圏内を通過する国道が一般に通行解除されています。しかし歩行者、自転車、自動二輪では通行不可となっており、高速道路や一部のトンネルに加え、私たちが自転車で走ることができない数少ない道の一つです。その道を通行する車の多くは廃棄物を運搬する大型トラックで、道沿いの建物は今もそのままの状態で残されているものの、ひとつひとつの出入り口にはどっしりとしたゲートが取り付けられていました。震災前この町に住んでいた人々は、自分の暮らす町がこのような姿に形を変えてしまうとは誰が想像したでしょうか?


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福島の現実は、私にとてつもない衝撃を与えました。そして今現在もあらゆる問題と課題を残しながら自分の国で起こっていることに対し、どれほど自分が無知だったのかに羞恥心を感じたのも事実です。ですが、ネットで記事を読んだり写真を見たからといって、これほど強烈な衝撃を受けたかどうかは分かりません。被災地を自分の目で見ることで、7年前から感じていた悶々とした気持ちは消え、胸にストンと落ちる感覚へと変わったのは確かでした。たとえ個人でもたらすことができる変化がとても些細なものであったとしても、そこに思いを馳せることに意義があると思うのです。