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フィールドレポート 三浦半島・大楠山編【アンバサダー 谷口京】

晴れた冬の午後、三浦半島を横断ハイク。歴史彩るトレイルを歩いてきました。

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谷口 京(たにぐち・けい)
写真家。1997年 日本大学芸術学部写真学科卒業。宮本敬文氏に師事後、NY市ブルックリンを拠点に独立。仕事の傍ら世界各地を巡り、2004年に帰国。雑誌や広告、カタログなど様々なフィールドで活動中。
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フィールドレポート 三浦半島・大楠山編

晴れた冬の午後、三浦半島を横断ハイク。歴史彩るトレイルを歩いてきました。

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作家・司馬遼太郎氏の紀行集『街道をゆく』42巻「三浦半島記」を読んでいたところ、気になる記述がありました—-「最高峰の大楠山に登った。(中略)標高は241.3メートルしかない。で、ありつつ、その山頂からの眺望は、日本国のどの名山よりもすぐれている、という」(三浦半島記−三浦大根と隼人瓜より)

——-いったいどんな眺めなのか?早速カメラ片手に出かけることに。

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京急・横須賀中央駅からバスに乗り、衣笠山公園入口で下車。坂道を登り詰めると鎮守・衣笠神社につきました。大楠山へのトレイルヘッドです。この日の行程は大楠山を経て相模湾へと到る約9キロ、3時間の道のり。

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衣笠山公園は1907年(明治40年)開園の歴史ある公園。展望台からは開国期からの軍港・横須賀の海が見えました。一帯には日露戦争戦没者慰霊のため、桜や萩が植えられています。花咲く景色はさぞ美しいことでしょう。しばし、海のかなた、異国に散った志士に想いを馳せました。

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衣笠山公園から衣笠城址へ。平安時代末期、この地域は武将・三浦氏の本拠地でした。1180年。源頼朝に味方した三浦一族は、平家軍をここ衣笠山で迎え討ち、敗走(衣笠合戦)。のち、鎌倉幕府成立の一翼として活躍します。トレイルは、尾根へ、谷へ、鎌倉時代夜明けの舞台を巡ります。

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衣笠城址に佇む、城主・三浦大介義明(1092-1180年)の碑。落城時、89歳だった義明公は子供達を呼び「わしは、十分に生きた。ここに残って戦う。お前たちは海へ退き、佐殿(源頼朝)を探してお供せよ!」と下命。僅かな手勢と共に奮戦、自害しました。もし義明公の命がなかったら、頼朝は三浦軍の援けを得られず、鎌倉幕府の成立はなかったかもしれません。頼朝は義明公への恩義を決して忘れず、鎌倉から衣笠山を訪れ、その菩提を弔ったと伝わります。木漏れ日が、静かに古道を照らすのでした。

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阿部倉コース登山道。大楠山を水源に東京湾へ注ぐ、平作川を遡るルートです。初夏は蛍やサワガニ、ホトケドジョウなど多様な生物で賑わうことでしょう。多摩丘陵に育ち、近所の谷戸が遊び場だった僕は懐かしい気持ちになりました。ここから山頂まで30分。標高差150mを一気に登ります。

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午後3時半。大楠山登頂。広い山頂の一角に、昭和な佇まいの売店がありました。そして展望台へ。さあ、どんな景色が広がるのか。

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相模湾、富士山、伊豆半島遠景。

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相模灘と天城連山。

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伊豆大島。

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横浜港と東京。

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まさに絶景。司馬先生の記述は本当でした。

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山頂展望台は通年16時に閉鎖します。そこで5分ほど離れた尾根にある、雨量観測レーダーの展望台へ。シニアのご夫婦が熱い珈琲を沸かしつつ、夕暮れのひと時をすごしておられました。ここで夜を待ち、流星群を観るのだそう。

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トレイルに散る椿の花弁。下山は相模湾側の秋谷海岸へ。シューズの紐を締め直し、一気に駆け下ります。

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歴史、自然、そして眺望。様々な楽しみがある大楠山ハイク。ラスト数百メートルは前田川遊歩道という、河床や飛び石を歩く川歩きに。残照の下、一路海を目指します。

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秋谷海岸にゴール。逗子駅へのバスを待ちつつ、浜辺で眺めた霊峰富士。新たな年も良い年でありますように。